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東京高等裁判所 昭和44年(う)141号 判決

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

〈前略〉

被告人等の弁護人の控訴趣意第一点について

所論は、要するに、原判決は、被告人政岡弥三郎(以下被告人と称する。)個人の金融取引に基く損益をも被告会社の損益と認めて原判示の事業年度における被告会社の所得を算出したものであり、原判決には、所得の帰属につき、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある、というのである。

よつて、按ずるに、原判決挙示の証拠を総合すると、原判示の所得は、すべて被告会社に帰属するものであることが、優に認められる。被告人の捜査段階における供述調書は、一貫して右認定に符合するものであり、所論のように、任意性に疑いがあるものとは認められず、又その内容自体においても信用性を疑わせる点もないのみならず、被告人作成の昭和三五年一月一九日付念書及び証人富永敏の原審及び当審各公判廷における各供述によると、被告人は、被告会社の発足に当り、従来の被告人個人の事業上の資産を被告会社に引継いだことを承認したものと認められ(右認定に反し、所論主張に符合する、右念書の内容が被告人の真意及び事実に反する旨の被告人の原審公判廷における供述は信用できず、その他所論主張を斟酌しても、右認定を左右するに足らない)被告人は、被告会社設立後間もなくの昭和三五年七月以降被告会社代表者として資金及び営業両面においてその事業を主宰して来たことから考えると、被告会社代表者となつたのちも引続き個人として金融業者としての届出はしていたものであるにせよ、所謂「法人成」に類する場合であると窺われるのであり、被告人個人と被告会社の二本建で同種事業を営むべき特段の合理的事由が認められない本件においては、爾後被告人が主宰する事業はすべて被告会社のそれであると解するのが相当であること、而も原判示の期間被告人個人の事業所得につき所得税の申告はされていないこと(右期間中被告人に莫大な欠損が生じ、申告すべき所得がなかつた旨の所論は、記録上明らかでなく、採用できない)をも考え合せると、被告人の前記供述調書は信用するに足るものであるというべく、右証拠と相反し若しくは牴触する、被告人の原審公判廷並びに証人綾野友文の原審及び当審各公判廷における各供述等は、被告人の前記各供述調書と対比して信用することができない。その他所論に鑑み、訴訟記録及び原裁判所において取り調べた証拠を精査し、且当審において事実の取調をした結果を供せ検討しても、原判決に所論のような違法があるとは認められない。論旨は理由がない。

同第二点について

所論は、要するに、原判決は、被告会社の復興建築助成株式会社(以下復興建築と略称する)に対する貸付金利息収入を益金として認定しているが、右認定の貸付金は、或は貸付金でない支出であり、或は既に弁済により消滅し、若しくは本件事業年度において貸倒損として計上すべき貸付金であり、いずれも益金となるべき利息収入を発生させるものでなく、原判決には、被告会社と復興建築と間のの法律関係及び貸倒損に関する法令の解釈の誤り並びに所得額の認定につき判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある、というのである。

よつて、按ずるに、原判決挙示の関係証拠によれば、所論主張の点につき原判決の認定を肯認することができ、この点につき原判決が弁護人主張に対する判断として判示するところはすべて正当であると認められる。(尚浅野物産に対する立退料に関する貸倒損を仮定的に主張する所論は、証拠上認められない。)又右原判示に所論のような法令の解釈を誤つた違法があるとも認められない。その他所論に鑑み、訴訟記録及び原裁判所において取り調べた証拠を精査し、且当審において事実の取調をした結果を併せ検討しても、原判決に所論のような違法があるとは認められない。論旨は理由がない。

同第三点について

所論は、要するに、原判決は、未収利息を益金として認めているが、損益帰属の時期については、逋脱犯においては現金主義によるべきで、未収利息は益金として計上すべきものではないのであり、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな、所得帰属の時期についての法令適用の誤り及び事実誤認乃至は憲法第三一条に反する訴訟手続の法令違反がある、というのである。

よつて、按ずるに、なるほど法人税法上、損益帰属の時期の決定につき、現金主義によるか、発生主義によるかについて明規されていないことは、所論のとおりであるが、一般的に、会計学上、継続的企業における損益の期間帰属を決定するためには、現金主義によるより発生主義によるのが合理的であると認められていると共に、発生主義は、課税の適正を意図する法人税法の立場にも適するものであるから、課税の実務においても、長く右主義によるとの解釈が行われており、このことは、納税者にとつても既に一般に認識されているところであると認められるので、原判決が損益の帰属時期決定につき発生主義を採用したのは正当である。而して、利息は、期間の経過に伴つて発生する収益であり、且本件利息は営業収益であるから、本件利息は、発生主義により、たとえ未収ではあつても、経過した期間に対応するものを収益として計上すべきものであり(尚利息制限法所定の制限利率を越える利息部分(以下制限超過利息と略称する)についても、後に判示するように益金と認められる限り、右と同様に解すべきである)右と同趣旨に出た原判決の認定は正当であり、又法令の適用を誤り、罪刑法定主義に反するものとはいえない。その他所論に鑑み、訴訟記録及び原裁判所において取り調べた証拠を精査し、且当審において事実の取調をした結果を併せ検討しても、原判決に所論のような違法があるとは認められない。論旨は理由がない。

同第四点について

所論は、要するに、原判決は、被告会社の復興建築に対する貸付金の未収の制限超過利息をも益金として認定しているが、右は益金として計上しえないものであり、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな、法令適用の誤り及び事実誤認がある、というのである。

よつて、按ずるに、まず所論は、右のような未収の制限超過利息は、法律上収入すべき権利の確定したものとはいえないから、益金となしえない旨主張する。なるほど制限超過利息については、私法上、その支払契約自体無効であり、又たとえそれが任意に支払われても、残存元本に充当され、元本に充当されて尚余りある場合には、債務者は、右余りの分につき不当利得返還請求権を行使できるものと解されるから、債権者は債務者に対し、右利息につき法律上これを有効に保有しうる権利を有するものではないといわねばならない。ところで、税法上の所得概念の法律的把握と称せられる考え方によつて、右の如き利息は益金とはならないとする理論もありうる。しかし、税法が納税義務者の担税力に応じた公平な税負担の分配を意図するものであること、利息制限法の規定が設けられているにも拘らず、同法所定の制限利率を超える高金利契約が結ばれ、右約旨通り利息が支払われ、且同法による保護を敢て求めることもしない例が往々にして存する社会的、経済的実態が存すること及び右の法律的把握の考え方を押し進めると、右利息を現実に収入した場合、債務者が同法による保護を求めなければ、その不当利得返還請求権が時効によつて消滅しない限り益金として認められないこととなり、現実的でない嫌いがあり、右税法の趣旨に沿わないものであることに徴すると、所謂所得概念の経済的把握方法を基礎として、当事者が右利息支払契約を有効として取扱い、債務者において利息制限法の保護を求めず、経済的にみて債権者が右利息を現実に管理し、これを自己のため享受している限り、これを益金であると解するのが相当である。而して、本件の未収利息は、原判示のとおり、被告会社と復興建築との間の従来の取引関係及び両当事者の意思等から考え、益金と認めるための右のような要件を充たしているものと認められるから、所論は採用できない。

所論は、次に、制限超過利息を益金として認めることは、それが収入すべき正当な金額ではないから、法人税法第九条第二項の趣旨に照らし、又国家が違法行為を自ら容認することとなるから不当である旨主張するが、罰金、科料を損金に算入しないのは、納税者に対する罰金、科料を実質上軽減することになる不当な結果を生じさせない趣旨であり、前記の税法の趣旨により制限超過利息を益金として認めることと何等矛盾するところでなく、又前記の税法の趣旨に鑑み、右課税により、制限超過利息支払の私法的効果を容認することとはならないので、所論は採用できない。

以上のとおりで、原判決が所論の制限超過利息を益金として認定したのは相当であり、法令適用の誤りもなく、その他所論に鑑み、訴訟記録及び原裁判所において取り調べた証拠を精査し、且当審において事実の取調をした結果を併せ検討しても、原判決に所論のような違法があるとは認められない。論旨は理由がない。

同第五点について

所論は、要するに、被告人等には法人税逋脱罪の犯意がないから、被告人等の原判示の犯罪の成立を認めた原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある、というのである。

よつて、按ずるに、原判決挙示の証拠、特に被告人の捜査官に対する各供述調書と被告人が昭和三一年から金融業を営み、被告会社の業務を主宰していたものであること、その他前記控訴趣意第一点乃至第四点について判示したところにより、被告人としては、原判示の所得がすべて被告会社の所得であり、且これを原判示の事業年度における所得として計上すべきものであることを知つていたものと窺知できることを総合すると、被告人等に本件犯罪の犯意があつたことを十分認めることができ、被告人の原審公判廷における供述等右認定に反し又は牴触する証拠は、被告人の前記供述調書と対比して信用できない。その他所論に鑑み、訴訟記録及び原裁判所において取り調べた証拠を精査し、且当審において事実の取調をした結果を併せ検討しても、原判決に所論のような違法があるとは認められない。論旨は理由がない。

同第六点について

所論は、原判決の量刑不当を主張するのであるが、訴訟記録及び原裁判所において取り調べた証拠を精査し、且当審において事実の取調をした結果をも参酌して按ずるに、本件の罪質、態様及び逋脱税額に照らして被告人等の責任は軽視することはできず、本件に現われた被告人等の主観的事情、犯情及び犯罪後の状況等量刑の資料となるべき諸般の情状を総合考察すると、所論主張の被告人等に有利な情状を十分斟酌しても、原判決の量刑が不当に重いとは考えられない。論旨は理由がない。

よつて、本件各控訴は理由がないから、刑事訴訟法第三九六条によりこれ等をいずれも棄却することとし、主文のとおり判決する。(脇田忠 高橋幹男 環直弥)

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